●東京外国語大学大学院●対照言文情報講座の終焉にあたって Feb 25 2010

野間秀樹

 

東京外国語大学大学院の対照言文情報講座が,総合国際学研究院への改組に伴い,終わりを告げることとなりました.ここに私的な立場から,講座の終焉にあたって記録を残しておこうと思います.

 

●大学院に対照言文情報講座を作る

 

東京外国語大学は20008月に西ヶ原キャンパスから府中キャンパスへ移転しました.

2001年,東京外国語大学の大学院はいわゆる大学院重点化が行われておりませんでした.大学院の担当教員はほとんどが外国語学部とアジア・アフリカ言語文化研究所の所属であり,ごく一部の数名の教員のみが国際文化講座(博士講座)など,大学院の講座に所属しておりました.

 

2001年には日本全国で国立大学教員の定員削減の嵐が吹き荒れており,教員を増やすということは,夢にも考えることのできない趨勢でした.国立大学の定員増は概算要求と呼ばれる,年に1度の予算申請で行われます.その前年には,学部をあげての取り組みであった2学部制を文部科学省に申請しましたが,認められませんでした.要するに,教員ポストとは,減らすものであって,増やすものなどではなかったのです.

 

定員増など夢にも考えることのできない趨勢の中でしたが,韓国語学を専門とする大学専任教員が日本全国で極めてわずかしかいないことに鑑み,韓国語学専任教員より構成される<対照言文情報講座>の企画を,2000年から練り上げ,膨大なデータを収集し,厚さ数センチになる資料を作り,対照言文情報講座の立ち上げを学内の会議で図りました.当初は99.5%といってもいいほどの教員が絶対に無理であるという判断でしたが,執行部と事務官のトップはこの企画に可能性を見て取り,その後の学内での検討によって,概算要求事項とすることが決定いたしました.西永良成大学院研究科長の時代でした.学長は第9代中嶋嶺雄学長より,20019月に第10第池端雪浦学長がバトンタッチしています.

 

そして文部科学省との概算要求交渉の結果,純増2名,振替1名,計3名の新たな教員ポストがついたのでした.純増とは,謂わば純粋な増員で,振替とは,他のポストをそれにあてるということです.日本全国の大学院で純増が14-15名と言われている中での純増2でしたから,その結果に人々は大変驚いたものでした.概算要求交渉の場では「ITやバイオなども含めて14-15名なんですよ,その中で東京外国語大学が純増2ということですか」と文部科学省から言われていた中で,韓国語学で2名を実際に東京外国語大学大学院が占めたのですから,驚きもひとしおであったわけです.

 

●対照言文情報講座に集う教員たち

 

こうして20024月には朝鮮言語学,日韓対照言語学,韓国語教育を専門とする対照言文情報講座が誕生しました.講座ですので,学生の教育組織ではなく,教員の組織です.

 

教員の構成ですが,そもそも大学院教員として迎えるべき業績を有する人材自体が,当時はまだ日本には限られていました.資格のある人材は既に然るべき位置にあり,皆,重要な位置におられましたので,到底本学に移籍などできない状態でした.人材については日本と韓国の大学で教鞭を執っている方々についてはもちろん,諸大学から韓国に留学中の大学院生まで,申請前から調査をしておりました.誰と誰がどこにいるなどということまで,全て把握した上での計画を遂行でした.

そこで,外国語学部教授であった野間秀樹と専任講師であった伊藤英人が学部を辞し,大学院新任教員として大学院の公募に望み,その空いた学部の空席に若い人材を外から招くという,謂わば極めてアクロバティックな人事を敢行したのでした.大学院と学部は今以上の厳密な別の組織でありました.大学院教員の敷居が非常に高かったのです.従って,いわゆる昇任人事ではなく,大学院講座の新たな新任人事となるのでした.学部と大学院のいずれの人事がうまく行かなくても,全体の計画が遂行できないほどのものでした.もちろん概算要求交渉ではこうしたことまで予め詳細なデータと共に詰めてあったわけです.まず野間秀樹教授が,次いで伊藤英人助教授が大学院対照言文情報講座の教員として赴任することになりました.

 

その後,20029月には大学院に南潤珍助教授を迎えることができました.外国語学部の言語・情報講座には200210月に趙義成専任講師,五十嵐孔一専任講師を迎えました.日本に新たに韓国語学関連の3つのポストが誕生したということでもあり,新たに3名の任期なしの専任の研究者が,この世界に誕生したということでもあります.3名とも希望に燃えていました.

五十嵐孔一専任講師は東京外国語大学の学部,大学院修士課程を経てソウル大学校で博士学位を得ております.ソウルからの赴任でした.趙義成専任講師は東京外国語大学の大学院修士課程を経て,延世大学校の博士課程を終えております.南潤珍助教授はソウル大学校で博士学位を得た人物です.

これに客員教授が加わり,韓国語学関連専任教員6名を擁する,大げさに言うのが許されるなら,いわば地上最強のチームが形成されたのでした.その内訳も,様々な専門,日本人,韓国人,在日韓国人といった様々な境遇の人々,母語も日本語と韓国語の双方の人々が集う,その時点で望みうる最高の人材が集ったと信じております.

大学院研究科長には立石博高研究科長が選ばれ,講座の推進に力を尽くしてくれました.

 

様々な困難がありました.これは筆舌に尽くしがたい.とうていこうした場では書くことのできないものですが,その苦しさは,そのかんに3度ほど救急車のお世話になるほどであったと言えば,ご想像いただけるでしょうか.

 

●大学院の教育研究が変わる

 

大学院の授業では,それ以前から持っていた合同ゼミを発展させ,6名で合同でゼミを行うという形式がその後定着しました.もちろん韓国語学関連のこうしたゼミは韓国にもヨーロッパにもアメリカにもないでしょう.フランスから客員助教授として赴任した金鍾徳助教授も驚くほどのものでした.

学生は学部生,研究生,大学院生まで合同で発表を行います.学生一人一人の発表に学生同士のコメント,討論があり,その後教員が6人もコメントをします.教員のコメントだけでも30分を超えることが,しばしばありました.

 

こうした中で多くの大学院生が学んだのでした.新たに得た対照言文情報講座の共同研究室は,全て大学院生にその蔵書と共に開放しました.野間秀樹の研究室も同様に開放しております.とりわけ,皆が「対照研」と呼んだ共同研究室は,不夜城とも言われるほどでした.そんなわけで大学の管理室の守衛の皆さんは,院生たちとも顔なじみで,とてもよくしてくださいました.しばしば24時間,大学院生たちが研究室では研究に励み,討論し,論文を検討し合い,日本語母語話者と韓国語母語話者が互いの発音を直し,互いのティーチング・アシスタントの授業や模擬授業への助言をし,助け合いながら,切磋琢磨したのでした.大学はIJ共学,つまり海外からのInternational studentsと日本からのJapanese studentsが真に共に学ぶということを掲げていたのですが,それもまさに実践していたのです.ちなみにIJ共学はFJ共学(Foreign StudentsJapanese Studentsの共学)の改称ですが,いずれも野間秀樹が西ヶ原時代に提唱したものでした.

 

●世にはばたく人々

 

20024月の対照言文情報講座開設以降,8名の大学院出身者が大学の専任教員として就職しました.うち7名は任期なしの専任教員です:

 

*村田寛              九州大学,2002.のち福岡大学,2006

*五十嵐孔一       東京外国語大学,2002

*中島仁              韓国外国語大学(ソウル),2004.のち東海大学,2006

*中西恭子           東国大学(ソウル)2005.のち京都女子大学,2009

*中村麻結           姫路獨協大学.2005(大学院研究生出身)

*金珍娥              明治学院大学.2006

*須賀井義教       近畿大学.2007

*金恩愛              明治学院大学,2008

*辻野裕紀           誠信女子大学(ソウル),2009(学部出身)

 

 

野間秀樹のそれ以前の指導学生まで含めると,9名が大学の専任教員として就職したことになります.日本語母語話者もおりますし,韓国語母語話者もおります.留学生はこれまでは謂わば「お客さん」のような立場であったことは否めず,みな故国に帰って就職することがほとんどでした.ところが,韓国から日本に学びに来た人々が,日本で日本の大学の専任教員として務めるという成果も,既に2名が克ち取っています.日本で韓国語学や韓国語教育を学ぶ.皆,大学の教員公募で,日本語母語話者たちとの競争に打ち勝って,就職を勝ち取っているのです.
なお,韓国語は教員の公募があるから就職しやすいのだという誤解には,一言申し上げておかねばなりません.対照言文情報講座の設立でわかるように,到底人員など増やすことができない状況の中で,ポストを作って弟子や後輩の就職を可能にしたのであって,それは筆舌に尽くしがたい苦闘によって勝ち取っているのです.就職した人々自身の人にも言えぬような努力も忘れてはならないでしょう.

専任教員以外にも非常勤講師として教鞭をとっている者も少なくありません.

2007年には亀山郁夫学長が就任し,まさに新たな時代の東京外国語大学へむけての様々な取り組みが進められています.

 

●集った大学院生たち,研究生たち,学部生たち

 

最後の年は,野間秀樹の主任指導学生は学部生から研究生,博士後期課程に至るまで,25名がおりました.大学院には実に様々なタイプの人々が集いました.東京外国語大学の学部から大学院に進学する者,他大学や韓国などから大学院へ入学する者,実際に大学で教鞭をとっていながら大学院へ入学する者など,多様な人々の,言ってみれば,梁山泊のような様相を呈していました.

日本と韓国の大学の専任教員も2名が,修士に入学試験を受けて入学してきてくれました.韓国の大学の教員は研究教授という資格の任期制専任教員です.韓国の文学博士号,日本の大学の言語学博士号を有する者もそれぞれ1名ずつ,改めて修士に試験を受けて入学してきてくれました.こうした人々は,私の学部の授業を1年間参観し,その上で新たに修士入学を決意し,入学してきてくれた人々です.大学の非常勤講師を勤めている人が,修士に入学するために,貴重なその勤めを辞めて修士に入学してくる人もありました.本当に感激しました.できることではありません.こうした人々の学問と教育への貴い志は,おのずと他の大学院生や学部生にも伝わるのでした.私はこうした人々の志は真に尊敬すべきものであると思っています.真に活気ある研究室でありました.

伊藤英人准教授,南潤珍氏准教授にも別にそれぞれ大学院生,学部生がおりました.そのかん,五十嵐孔一専任講師,趙義成専任講師もそれぞれ准教授に昇任しております.

 

実際に大学で教育研究を行える人材を養成するのであるという,対照言文情報講座の目標は,充分に果たせたのではないかと思います.

 

●世に問われる研究成果

 

人材の養成のみならず,新たに迎えた教員たちの研究成果も相当な量に上っています.そのかん『韓国語教育論講座』も第1巻,第4巻を上梓しています:

 

*野間秀樹編著『韓国語教育論講座 第1巻』2007年,くろしお出版

*野間秀樹編著『韓国語教育論講座 第4巻』2007年,くろしお出版

 

これらは日本と韓国の研究者60名以上が集って執筆しているものです.伊藤英人,南潤珍,五十嵐孔一,趙義成,また客員准教授の金鍾徳といった,全ての専任教員のほか,中西恭子京都女子大学准教授,村田寛福岡大学准教授,金珍娥明治学院大学専任講師,中島仁東海大学准教授,須賀井義教近畿大学専任講師などをはじめとする,東京外国語大学大学院で学んだ人々も多く執筆しています.内外の多くの研究者たちが,編者の謂わば志に応えてくれたものでもあります.この『講座』の編纂の根拠地となったのは,言うまでもなく,東京外国語大学の大学院です.その熱き志で編集に協力してくれた大学院生たちや学部生たちの名は,『韓国語教育論講座』のそれぞれの巻に,感謝を込めて,記してあります.
また次のようなものもあります:


*趙義成編『初刊本『釈譜詳節』統合KWIC索引』 2005年,三鈴印刷

 

大学院出身者たちと共に編んで刊行した書物も少なくありません.次のようなものがあります:

 

*野間秀樹・金珍娥著『Viva! 中級韓国語』2004年,朝日出版社

*野間秀樹著『新・至福の朝鮮語』2007年,朝日出版社』

*野間秀樹・村田寛・金珍娥著『Campus Corean はばたけ!韓国語』2007年初版,2008年第2版,朝日出版社

*野間秀樹著,安垠姫・金恩愛執筆協力『絶妙のハングル』2007年,日本放送出版協会

*野間秀樹・金珍娥著『ニューエクスプレス韓国語』2007年,白水社

*野間秀樹・金珍娥・中島仁・須賀井義教著『きらきら韓国語』20103月刊,同学社

 

大学院出身者たちが著した書物もあります:

 

*中西恭子著.野間秀樹監修『韓国語アップグレード--もぎたてのソウルマル--』2004年.明石書店

*中西恭子訳『コリアン・ディアスポラ--在日朝鮮人とアイデンティティ』ソニア・リャン著.2005年,明石書店

*中西恭子訳(英語よりの翻訳)『近代東アジアのグローバリゼーション』マーク・カプリオ編.2006年,明石書店.(序章,第1部第2章,第2部第1章,第2章,第3部第1章翻訳担当)

*金恩愛(油谷幸利先生と共著)『 間違いやすい韓国語表現100 初級編』2007年,白帝社

*山崎玲美奈著『起きてから寝るまで 韓国語表現ドリル』2006年,アルク.

*山崎玲美奈著 『起きてから寝るまで 韓国語単語帳』2007年,アルク

*安垠姫著 『韓国語学習 スタートブック 超入門編』2007年,Jリサーチ出版

 

大学院生たちが執筆した論文も数知れません.大学院生のページで紹介しています.

 

●劇的な変貌を遂げた学部教育

 

こうした研究成果,教材の開発とともに,新たな4名の専任教員の赴任,さらに本学出身の,談話研究を専門とする金珍娥講師の非常勤講師赴任によって,学部の言語教育は劇的に進化しました.

従来は実際に〈話す〉ことについて,十全な位置づけが希薄でした.2000年以降,『至福の朝鮮語』(朝日出版社)の導入によって〈話す〉ことの一定の位置づけを行っておりましたが,これを目的意識的に大々的に推し進めることになったのでした.学部1年生の専攻語の教材は『新・至福の朝鮮語』,『Campus Corean はばたけ!韓国語』,そして権在淑著『これからの朝鮮語』の3本を冬までに終わらせる体制となっています.ちなみに権在淑非常勤講師は,6名の専任教員の着任以前から本学で教鞭をとっている最古参のベテラン教員です.その著書は簡潔ながら,極めて新しいコンセプトのものです.1年生の後期後半からは『Viva! 中級韓国語』も用い,併せて読解の学習を行っています.

学部生たちは1年生の段階で,もちろん人によって進度は違いがありますが,基本的な姿勢として〈話す〉ことを当然の構えとして学ぶようになりました.昔は〈読む〉ことが中心であり,辞書を用いて非常に難しい書物も読めるのに,挨拶ぐらいしかできないといった学生が少なくありませんでした.「会話」などは韓国で学べ,という風潮があったわけです.そうした点では,隔世の感があります.聞き返しやあいづち,言い淀み,感情表現など,生き生きとしたことばをリアルに体得する学生がたくさん現れました.簡単な表現だけでも,生き生きと話す学生たちは,留学生たちや町で出会った韓国語母語話者たちに驚嘆されたという報告を幾度となく受けるようになりました.教師と教材によって,つまり教育によって学習者がここまで進化するのです.

学部の副専攻語の教育も大々的な改革が図られました.五十嵐孔一准教授を中心に,宋美玲講師,阪堂千津子講師,金珍娥講師に加え,金美仙講師の松山大学への転出に伴って,李善姫講師が赴任しました.2009年度の教材は『新・至福の朝鮮語』,『Campus Corean はばたけ!韓国語』,『ぷち韓国語』が初級で用いられています.

専攻語,副専攻語ともに,それぞれの授業をばらばらに行うのではなく,連絡を密に取り合ったリレー授業となっています.公開できないのが残念ですが,数年前の副専攻語の全学的な学生の授業評価では,25項目ほどあったなかで,20項目ほどが全ての副専攻語の授業で1位を占める評価を得ています.副専攻語の鑑と言われたほどでした.専攻語の授業も圧倒的な評価を得ています.とりわけ1年生の授業の体制は全学的な授業評価でも,専攻独自に行った無記名調査でも,極めて高い評価となっています.

 

●学部教育と大学院教育の連携と一体化

 

学部1年生の野間秀樹の授業は,大学院生のTA(ティーチング・アシスタント)による授業を組み込んでいます.10分ほどをTAが担当し,それも含め,教員と共に他の大学院生や聴講している学部生,研究生が授業を参観します.参観者は10名ほどにのぼります.野間秀樹の1年生の授業は全てビデオに録画し,授業後にそれぞれの授業の批判をしあうといったことも行って来ました.TAの授業はこの作業によって劇的に向上します.教育内容や日本語と朝鮮語両方の発音はもちろんですが,服装,視線から立ち方,声の出し方,表情に至るまで,互いにチェックするわけで,この経験のあるなしは,おそらく教員生活の根幹に関わるほとどあると言っても,過言ではないでしょう.大学の教員として活躍している大学院出身者たちは,みな,こうした過程での猛烈な訓練を経ているわけです.大学の教員公募では,今日,面接だけではなく,模擬授業を課すことが一般的なものとなっていますが,そうした模擬授業を課していただくのは,本学出身者としては大いに歓迎するところであると言ってもよいほどです.ちなみに,私自身は,自らの授業をビデオで見ながら,毎回,忸怩たるものを禁じ得ないのですが.

なお,学習者もみな,最初からこうした録画録音には慣れていて,当然のごとくに接しています.教室には三脚が立っていて,常時カメラが回っている.それがごく自然なこととなっているわけです.学習者が二人ずつ組になって行う発音練習の時間は,母語話者のTAたちが,学習者たちの発音を直します.この発音の時間も学習者たちには大変評価されているものです.学習者たちはほんとうに楽しそうに練習しています.TAたちが教育を実践的に学び,学習者が単なる試験台などではなく,実際に恩恵を受ける,そうしたシステムを作りあげてきたわけです.そしてそうした環境で学んだ学部生が,数年後にはTAとなり,さらに社会に巣立ってゆくわけです.

 

●大学内外での社会への貢献

 

大学の外で行われている韓国文化院,国際文化フォーラム主催の韓国語教員養成の講座でも,6名の教員は重要な役割を果たしております.シンポジウムや学会発表も,教員と院生それぞれ数知れません.教員たちは他大学まで含めて,博士号の審査と授与も行っております.文部省関連の機関でも重要な役割を果たしています.20062008年には野間秀樹は日本学術会議連携会員としても勤めております.それぞれの教員が科学研究費の研究も推し進めています.2009年度,伊藤英人准教授は科学研究費Bの大きなプロジェクトを推進しています.

 

●対照言文情報講座の終焉を迎えて

 

大学院全体が総合国際学研究院として改組されるのに伴って,2009年,対照言文情報講座は,その役割を終えることとなりました.人材の養成,教育と研究,それらの成果を見るとき,もちろん至らぬ点も多々あったとは存じますが,総じて,おそらく文部科学省も,財務省も,そして世の方々もまた,十二分に納得してくださる成果を獲得しているのではないかと存じます.

2002年から2009年までの対照言文情報講座の歴史は,その準備段階も含め,教育と研究の1つのモデルを提起し実践し,成果を得,人材を世に送り出してきた歴史でした.実に苦闘の歴史でもあり,同時に,共に学んだ皆さんの栄光の歴史でありました.

 

このかん,大学の内部でも,また外部からも,多くのご声援を賜りました.1つの理想のもとに講座を共にしていただいた教員の皆さん,非常勤講師として本学の朝鮮語教育,大学院教育と研究を支えてくださった先生方,さらにソウル大学校,延世大学校を始めとする韓国の先生方,また日本の多くの先生方に,心よりお礼申し上げます.また韓国大使館韓国文化院,韓国国際交流財団,国際文化フォーラムのご声援にも感謝申し上げます.2005年に野間秀樹に頂戴しました大韓民国文化褒章は,個人にというより,まさに対照言文情報講座に象徴される日本の韓国語研究教育と,それを支えてくださった全ての方々に,いただいたものと思っております.改めてお礼申し上げます.

そして本学で共に学んだ皆さん,つらいこともあったし,悲しいこともあったと思います.しかし必ずやそこには楽しいことや,感激すること,嬉しいことが存在していたと信じます.私の至らなかったことも多々あります.心からお詫び申し上げたい.同時に共にしてくださったことについて,心からお礼を申し上げたい.皆さん,本当にありがとうございました.

 

さいごに,対照言文情報講座の開設から終焉に至る間,ご協力とご声援を賜った内外の全ての皆様に,改めて心よりお礼申し上げます.


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